デジカメがここまで普及し、プライベートな動画も手軽に撮れるようになった現在、拘束されて自由を奪われることが何を意味するか、肉奴隷を志向する女性はよく考えておく必要がある。

 おのれの恥ずかしい姿を、ご主人様や女王様に見ていただくのを悦びと感じる肉奴隷は多い筈だが、同時に決して少なくない数の主たちは、その痴態を他の人たちにも見せてやりたいと思うものなのだ。その動機が奴隷の躾なのか、成果の自慢なのは、人それぞれだろうが。

 つまり、例えば全裸でM字開脚にされてしまった後で、写真や動画を撮られたくないと思っても、脚は閉じることは出来ないし、顔をそむけ続けることさえ困難だ。バイブレーターや電マで責め続けられる場面を考えてみれば、顔が映りこむのは避けられないとわかる。

 無論、いわゆる「愛奴」として大切にされている肉奴隷の場合、それを他人に見せられたり、ネットで公開されることは稀だろう。しかし、今後の更新で触れるつもりだが、主が制御不能な場に肉奴隷として臨まなくてはならないケースもある。例えば、貸し出しという形で。

 また、どんなに固い絆の主従であっても、時とともに人の心は変わり得るものだ。その変化を超えて、一生添い遂げてゆくのが肉奴隷のあるべき姿だが、愛奴の座を明け渡した時に何が起きるかは、主の心一つに委ねられる。

 その意味では、以前に触れた刺青などと似た性質のハードルといえるだろう。