肉奴隷は、恋人でもなければ、伴侶でもない。つまり、主の側がいわゆる操を立てなくてはならない対象ではない。なので、誰と交わっても咎めらることは出来ないし、そこで見ていろと言われれば、目をそらさずにふたりのセックスを直視していなくてはならない。

 主を恋人や伴侶として愛していたら、とても耐えられない筈だ。ご主人様や女王様にとって、自分は何なんだと思う者もいるだろう。その答えは「肉奴隷」。例外はあるものの、ほとんどの場合、それ以上ではない。

 主は奴隷を玩具として可愛がりもするし、ペットとして面倒を見もする。また、性欲・嗜虐欲を満たしてくれる存在として重宝し、感謝もするだろう。時には「愛奴」と呼んで、唯一無二の奴隷としての愛着を示すかもしれない。

 しかし、それは対等な間柄としての恋人や、お互いに対して貞操を誓う結婚相手とはまるで違う。奴隷の側は貞操を求められるが、主は多頭飼いにおいても奴隷の許可を必要としない。円滑に事を運ぶために、事前に話を通す主はいるだろうが、それはあくまでも本人の自由意志である。

 配偶者がいて、それとは別に恋人もいて、その人たちでは満たされない主従関係を通した支配欲を、奴隷で満たす主は決して少なくない。肉奴隷を志願するということは、自分がそういう存在であるのを受け入れることに他ならない。